大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和52年(行ケ)199号 判決

原告

フエライニグテ・アルミニウムーヴエルケ・アクチエンゲゼルシヤフト

被告

特許庁長官

上記当事者間の審決取消請求事件について、当裁判所は、次のとおり判決する。

主文

特許庁が昭和48年審判第3610号事件について昭和52年6月28日にした審決を取消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

事実

第1当事者の求める裁判

原告は、主文第1項と同旨の判決を求め、被告は、「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求めた。

第2当事者の主張

(原告)

請求原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、名称を「アルミン酸ナトリウム液を用いる管疎解によつてボーキサイトを連続的に抽出する方法」(たゞし、後日、この名称を「溶解した酸化アルミニウムを含む熱い溶液を連続的に製造する方法」と補正)とする発明につき、1967年5月6日にドイツ連邦共和国においてした特許出願に基づく優先権を主張して、昭和43年5月6日特許庁に対して特許出願をしたところ、昭和48年2月5日拒絶査定を受けた。そこで、同年5月29日審判を請求し、この請求は昭和48年審判第3610号事件として審理されたが、昭和52年6月28日「本件審判の請求は成り立たない。」との審決があり、その謄本は同年7月28日原告に送達された。なお、出訴期間として3か月を付加された。

2  本願発明の要旨

溶解管を通すことによつて溶解した酸化アルミニウムを含む熱い溶液を製造する方法において、アルミ酸ソーダを含むボーキサイト懸濁液を、乱流状態で管に通すことを特徴とする、溶解した酸化アルミニウムを含む熱い溶液を連続的に製造する方法。

3  本件審決の理由の要点

特許庁は、本件審判手続の過程において、出願人に対し、昭和49年9月30日、下記の事項を含む事由を指摘して、「本件出願は、明細書が不備のため特許法第36条第4項及び第5項に規定する要件を満たしていない。」との拒絶理由通知をした。

「この出願の発明において、アルミ酸ソーダはいいかなる目的で用い、かつ、いかなる作用効果を生じているのか具体的、かつ、明瞭に記載されていない。」

これに対し、出願人は、明細書を補正し、同時に意見書を提出したが、上記意見書において、「この出願の発明は、アルカリ液により原料たるボーキサイト中のアルミナをアルミン酸ソーダにする方法である。」旨主張している。

しかし、補正された上記明細中、アルミン酸ソーダについて記載してある箇所は、同明細書第5頁10行、11行の「アルミン酸ソーダ溶液中のボーキサイト懸濁液からなる反応混合液…………」、同第9頁2行、3行の「ボーキサイト1アルミン酸ソーダ懸濁液が、………」及び同第11頁7行の「アルミン酸ソーダを含むボーキサイト懸濁液………」という箇所に限られ、これらの記載からは、アルミン酸ソーダがボーキサイトに対してどのような作用を及ぼすのか理解できない。

また、上記明細書には、ボーキサイトから酸化アルミニウムを抽出するためにボーキサイトと接触している物質としてはアルミン酸ソーダ溶液以外何も見当らない。

したがつて、意見書における出願人の「この出願の発明は、アルカリ液により原料たるボーキサイト中のアルミナをアルミン酸ソーダにする方法である。」旨の主張は、明細書の記載との関係において何を意味するのか不明である。

したがつて、本願発明の明細書には、当業者が本願発明を容易に実施しうる程度に記載されているとは認められず、さきの拒絶理由は解消されていない。

4  本件審決の取消事由

審決は、本願発明の明細書には、当業者が本願発明を容易に実施しうる程度に記載されているとは認められない。としているが、この判断は誤りである。すなわち、

1 本願発明の明細書の記載から、本願発明は、その優先権主張日前に周知であつたバイヤー法を改良したものであることが理解できる。

バイヤー法は、アルミナの工業的製造法のうちで最も主要な方法であり、19世紀末にオーストリアの化学者バイヤーが考案したものであり、この方法の原理は、本願発明の優先権主張日当時当業者に周知の事項であつた。本願発明の明細書は、この周知に係るバイヤー法の存在を前提として記載されているものである。

そして、本願発明の明細書中には、公知の方法としてのバイヤー法の欠点についての記載があり、他に該当したり混同するような技術はないから、本願発明がバイヤー法を改良したものであることは明らかである。

2 バイヤー法を前提とすれば、本願発明の明細書には、本願発明を当業者が容易に実施しうる程度に記載されていることは明らかである。

すなわち、

(イ) 「アルミン酸ソーダはいかなる目的で用い、かつ、いかなる作用効果が生じているか。」の点は、バイヤー法を前提とすれば自明のことであり、アルミン酸ソーダは再使用するためにリサイクルされて、ボーキサイトと混合されたものであることが判る。

したがつて、アルミン酸ソーダは、ボーキサイトと反応させるために用いるものではなく、収率向上のためのリサイクル成分としてボーキサイト分解系に戻されたものである。ボーキサイトの分解が水酸化ナトリウムによつて行われることは、バイヤー法の原理から明らかである。

(バイヤー法の反応式)

Al2O3(ボーキサイト中)+2NaOH=2NaA102+H2O

NaA102+2H2O=NaOH+Al(OH)3

実際の操業では、水酸化アルミニウムの析出は50%程度に止め、水酸化アルミニウムを採取した残りの濾液(したがつてアルミン酸ソーダを含んでいるもの)は次のボーキサイトの溶解に繰返し使用される(甲第8号証、第9号証の各1ないし3)。

(ロ) 「ボーキサイトから酸化アルミニウム(アルミナ)を抽出するためにボーキサイトと接触している物質としてはアルミン酸ソーダ以外何も見当らない。」との点は、バイヤー法に係る知見を前提とすれば、「アルミン酸ソーダを含むボーキサイト懸濁液」が「リサイクルしたアルミン酸ソーダを含み、かつ、(当然のこととして)水酸化ナトリウムが添加されているボーキサイトの懸濁液であることが明らかである。

(被告)

請求原因の認否と主張

1  請求原因1ないし同3の事実は認める。

2  同4の主張は争う。

(1) その1について

本願発明の優先権主張日当時、バイヤー法が周知の事項であり、工業的製造法で最も主要な方法であつたことは認める。

しかしながら、本願発明の優先権主張日前には、バイヤー法以外にも周知の方法があつたから、バイヤー法が周知であつたからといつて、それのみを前提とすることはできない。すなわち、アルミニウムの精錬法としては、バイヤー法のほかに、塩化アルミニウムを酸化してアルミナを作り、それからアルミニウムを得る方法など、種々の方法が周知であつたのである。

また、本願発明の明細書における、バイヤー法及びその欠点に関する記載は、それだけの記載にとどまり、それと本願発明とを結びつける記載は全く存在しないから、本願発明がバイヤー法に直接関連していることは全くわからない。

(2) その2について

(イ) 本願発明の場合、バイヤー法における重要な反応成分である水酸化ナトリウムについて全く記載も示唆もない状態で、反応成分としてボーキサイトとアルミン酸ソーダだけが示されているので、本願発明は、バイヤー法における欠点を解消するための、ボーキサイトとアルミン酸ソーダとを出発原料として溶解した酸化アルミニウム溶液を得ようとする新規な発明ではないかとみる外はない。

仮に、本願発明がバイヤー法を改良したものであるとしても、アルミン酸ソーダをことさらに記載した理由が不明である。

すなわち、バイヤー法では、水酸化ナトリウムはボーキサイトと共に重要不可欠な反応原料であるが、循環されるアルミン酸ソーダは工業上の実施には必要であるとしても、バイヤー法の基本反応を示す場合には必要のない程度の物質である。しかるに、本願発明の明細書には、バイヤー法には不可欠の反応原料である水酸化ナトリウムが記載されず、示されなくてもよいアルミン酸ソーダが示されているのであるから、仮に、本願発明がバイヤー法を改良したものとしても、アルミン酸ソーダをことさら記載した理由が不明である。したがつて、「アルミン酸ソーダをいかなる目的で用い、かつ、いかなる作用効果を生じているか」不明である。

(ロ) バイヤー法では、アルミン酸ソーダ溶液は単にリサイクルされるのではなく、リサイクルされるに際してボーキサイトの分解に必要な水酸化ナトリウムが補給され、それはバイヤー法を実施する上で不可欠の要件である。

しかるに、本願発明の明細書にはこの点がなんら示されていないから、このアルミン酸ソーダがバイヤー法においてリサイクルされるアルミン酸ソーダであるとは到底理解できず、まして、このアルミン酸ソーダに水酸化ナトリウムが含まれていることが明らかであるとはいえない。

(3) 本件審決は、本願発明の明細書の記載が不備であるとして審判請求を成り立たないとしたものであつて、その不備とした点は明細書に明記されるか、又はそうみられなければ解消しない。しかるに、原告は周知技術より明らかであるというのみで、明細書には記載しておらず、明らかであるという根拠として挙げる明細書の記載個所も、いずれも記載されているとするには不十分なものである。もし、本願発明がこのまゝの明細書で出願公告された場合、当業者がこの明細書から原告のいう本願発明を把握できるかどうかは疑問である。

したがつて、本願発明の明細書には、本願発明が容易に実施しうる程度に記載されているとはいえないものであるから、審決の判断に誤りはない。

第3証拠関係

原告は、甲第1号証、第2号証、第3号証の1ないし4、第4号証ないし第6号証、第7号証ないし第10号証の各1ないし3を提出し、被告は、甲号各証の成立を認めた。

理由

1  請求原因1ないし同3の事実は当事者間に争いがない。

2  そこで、原告の主張する取消事由の存否について検討する。

(1)  成立に争いのない甲第3号証の2によれば、本願発明の明細書には、「本発明は、溶解した酸化アルミニウムを含む熱い溶液を連続的に製造する方法に関する。」「ボーキサイトから酸化アルミニウムを連続的に抽出する公知の方法(バイヤー法)……では、溶解管が使用されるが、ボーキサイトからアルミニウムを不完全にしか溶出できない。」「したがつて、本発明の課題は、この欠点を除去し、良好なアルミニウム収量が得られるようにすることにある。」(第1頁9行~第2頁3行)との記載があることが認められる。この記載によれば、その行文からみて、本願発明が、バイヤー法の前記欠点を除去し、良好なアルミニウム収量が得られるようにすることを発明の課題とするものであることが明らかである。

そして、同書証によれば、本願発明の明細書には、前示の記載に続いて、上記の課題を解決する方法として、「本発明によれば、これは、ボーキサイト懸濁液が、乱流を維持しながら、少なくとも0.5~7m/sec、なるべく2~5m/secの速度で、溶解管に通されることによつて、可能になる。溶解には数秒の僅かな時間しか必要としないため、この乱流により、流量を非常に高めることができるので、管溶解装置の容量は、たゞの0.01~0.5m3/Al2O3ton/dayに調整すればよいことが明らかになつた。それ故、管溶解方法は、はじめて技術的にも経済的にも有利なものとなる。」(第2頁5行~14行)と記載され、本願発明の図面にもとづく説明及び実施例において「溶解管」の語(第5頁下から3行、第7頁下から4行、末行及び第8頁5行)が用いられていることが認められ、これらの記載によれば、本願発明の改良点は、「溶解管」中での懸濁液の流れの状態を規制する点にあるものと認められるが、この「溶解管」は、前記バイヤー法における「溶解管」(第1頁14行)を意味するものと解せられる。何故ならば、既述のとおり、本願発明の課題はバイヤー法の欠点を改良することにあると認められるし、その解決方法が示されるまで(第2頁5行~14行)の説明においては、従来技術の説明としてバイヤー法だけが特に挙げられているに過ぎないので、かく解することが文脈上自然であるし、上記解決方法もバイヤー法と同じくボーキサイトを処理する方法に属するからである。

そこで、本願発明の特許請求の範囲の記載をみると、前掲甲第3号証の2によれば、こゝでも同じく「溶解管」なる語が用いられており、この管にボーキサイト懸濁液(正確にはアルミン酸ソーダを含むボーキサイト懸濁液)を通し、この溶解管中での流れの状態を乱流状態に規制することが本願発明の新規な事項であることが認められ、この点は前記改良点(第2頁5行~14行)と一致している。

そうすれば、本願発明の明細書の記載自体の当否は後に検討することとして、少なくとも、本願発明がバイヤー法における溶解管中での流れの状態を改良点としていることは明らかである。

(2)(イ)  アルミン酸ソーダの目的、作用効果

本願発明の優先権主張日当時、バイヤー法が周知の事項であつたことは当事者間に争いがない。

成立に争いのない甲第9号証の2(第187頁、第188頁)によれば、バイヤー法においては、未分解のアルミン酸ソーダは、必要量の水酸化ナトリウムを加えて再循環使用(リサイクル)するので、その反応は

ボーキサイト+水酸化ナトリウム+アルミン酸ソーダ→アルミン酸ソーダ+赤泥

となることが認められる。前掲甲第3号証の2(第1頁11行~12行)に「ボーキサイトから酸化アルミニウムを連続的に抽出する公知の方法」とあるのは、この反応を説明しているものと解せられる。

そうすれば、前1の項に述べたとおり、本願発明はバイヤー法における溶解管中での流れの状態を規制することを特徴とするものであるから、本願発明における「溶解した酸化アルミニウムを含む熱い溶液」(特許請求の範囲の項及び第1頁9行10行)とは、バイヤー法における「アルミン酸ソーダ+赤泥」の熱い溶液を指していることは自明のことというべきである。

ところで、前掲甲第3号証の2によれば、本願発明の一般的説明においては、溶解管に通すのは単に「ボーキサイト懸濁液」と記載されているにとどまり(第2頁5行、6行、第4頁8行、9行、第10頁8行)、アルミン酸ソーダについては、図面にもとづく説明及び実施例において触れられているに過ぎないが、本願発明の特許請求の範囲の項には、「アルミン酸ソーダを含むボーキサイト懸濁液」と記載されて、ボーキサイト懸濁液中にはアルミン酸ソーダが含まれていることを特に明示していること、前(1)の項に述べたとおり本願発明はバイヤー法における欠点を改良することを解決課題とするものであること及びバイヤー法におけるリサイクル成分としてのアルミン酸ソーダの役割を考え合せれば、本願発明におけるアルミン酸ソーダ使用の目的、作用効果はバイヤー法のそれと同じであると考えられる。すなわち、本願発明のアルミン酸ソーダは、ボーキサイトと反応させるために用いるものではなく、収率向上のためのリサイクル成分としてボーキサイト分解系に戻されるものであつて、周知のバイヤー法におけると変りはない。

被告は、本願発明の明細書において、アルミン酸ソーダをことさら特許請求の範囲に記載し、水酸化ナトリウムを記載しない理由が不明であるというが、前者の記載は、既述のとおり、アルミン酸ソーダについては明細書の一般的説明の個所に記載がなく、図面にもとづく説明及び実施例で触れているに過ぎないところからもうかがえるとおり、本願発明においても、溶解管の中を通す懸濁液中には、周知のバイヤー法におけると同じくアルミン酸ソーダをリサイクルして使用し、それを含んでいることを念のために示したものと解せられるから、その主張は当らない(アルミン酸ソーダのリサイクル使用は、バイヤー法において、任意選択事項と解される。)。

(ロ)  水酸化ナトリウムについて

上述したところ、特にバイヤー法における処理手段及び本願発明の新規な点を考慮すれば、バイヤー法、すなわち、本願発明のボーキサイト分解系における水酸化ナトリウムの使用及び連続工程中における必要に応じたその補給は当然かつ自明の事項と解される。

したがつて、本願発明の明細書中の「ボーキサイト懸濁液」が水酸化ナトリウムを含むものであることは、当業者にとつて容易に理解することのできることである。

(3)  被告は、本願発明の明細書の記載では不十分であると主張している。

しかしながら、特許法第36条第4項の規定によれば、明細書には、その発明の属する技術の分野における通常の知識を有する者が容易にその実施をすることができる程度に、発明の目的、構成及び効果を記載することを要求されているだけであつて、それ以上に出願時(優先権主張日当時)における技術水準に属し、当業者に自明な事項までも記載することが要求されている訳ではない。そのような事項は、当業者であれば明文の記載がなくても、当然、記載されているものと同様に明細書を読むことができるのである。

そして、アルミン酸ソーダ及び水酸化ナトリウムに関する事項は、上述したところから明らかなとおり、当業者ならば本願発明の明細書の記載から容易に読取りうる事項であり、その意味において、明細書に記載があるものと解しうるから、被告の上記主張は当らない。

3  以上のとおり、本件審決の取消を求める原告の本訴請求は理由があるのでこれを認容し、訴訟費用の負担については行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条の各規定を適用して、主文のとおり判決する。

(荒木秀一 藤井俊彦 杉山伸顕)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例